土はいきもの

土はいきもの

自然そのものが全て役割をもった節度ある生命体であり、その集合体である地球や宇宙全体にも 「いのち」や 「意思」があると捉えていたように思えます。

自然農法に立ちはだかった戦争と近代農業

私たちはいつの頃から事象だけではない「いのちの営みを含めた自然の循環」を 大自然 と呼ぶようになりました。カタログタイトルの少し大げさな「大自然のいのち」も、こんな想いからです。

 岡田氏やその実践者たちは、土や作物の観察に時間を掛けました。「いのち」ある土が、作物の「いのち」を育てることが試行錯誤を繰り返すことで分かってきました。しかし、そんな中、日本は第二次世界大戦に突入し(1941年)、そして敗戦(1945年)を迎えます。

 農家の貧困生活を良くしたいとの強い想いで研究を始めた自然農法でしたが、戦争によって日本の国土は疲弊しました。働き手を失った圃場が日本全土を埋め尽くし、国民は大変な食料難に苦しみました。政府(当時はGHQ主導)は国策として、「農作物増産の大号令」を発します。それは海外のノウハウと共にもたらされた農薬、化学肥料を使用した近代農業でした。それまでの日本は農業国でありながら、グループ等ではなく、家族単位の農家がほとんどでした。政府は食料増産を進めるために農協を組織し、2年後には(1947年)約1万4000団体が設立されました。技術提供・融資・流通整備が、国による強力なバックアップにより進められ、農業の近代化に拍車がかかりました

農業への懸念

岡田氏は、この農薬・化学肥料に頼った近代農業に対し、当時数少ない懸念者でした。

 いのちある土に殺菌剤や、それを補うために化学合成の肥料を入れること」に疑問を強く感じていました。そして、その懸念は20年後、農薬事故死者数※−4として現実となったのです。

その後、国際世論もDDTをはじめとする、農薬などの危険性と環境問題を訴えたレイチェル・カーソン著書 沈黙の春」(1962年)※−5が出版されるなど、多くの賢者が声を上げ、良識ある人たちがそれに賛同しました。かつて魔法の薬と思われていた農薬に疑問符が打たれ始めたのです。 

 また、岡田氏は農薬の未知のリスクばかりでなく、肥料に頼ることで発生する土地の栄養過多による想定できない負荷や、資材費等の投資リスクも懸念していました。

 国際化の進む現在、一部企業が作り出す特殊なタネと、それを育てるための農薬などの資材費等が農家の経済的負担になっている国があります。